こんにちは、富家病院栄養科の飯利です。
皆さん、『ナラティブ・ホスピタル』はご存じでしょうか。
今回はその中の一節をご紹介させて頂きます。
『ナラティブ・ホスピタルにおける臨床心理士の役割』より一部抜粋
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「ナラティブ・ホスピタルで何が起こっているのか」
について尋ねてみると
心理学の専門家らしく確かにより具体的な言葉が返ってきました。
根生氏は、ナラティブを評して言います。
「ナラティブを実践することで
患者や家族と 医療の現場は
生身でぶつかることができる。
そして、そのとき自分の心がどう動かされるのかを自覚する。
『医療』というスキルではなく『自分』という人間の深みが試されている気がする。」
相手の人生の歴史を知ることで
「目の前に相手がいて今自分はその人と関わっているのだ。」
という実感が強くなるのだといいます。
「臨床心理士としてというよりも一人の人間として向かい合うことを求められる」と。
言い換えるとそれは
患者と向き合う際スキルに逃げることができないということなのかもしれません。
その人の人生の重みを知ったとき、自分はそれをどう受け止めながら関わっていくのか
という問いが強制的に突きつけられるというわけです。
もちろんそれは不快な感覚ではなく、むしろ背筋が伸びる思いです。
「専門家として患者を診る前に一人の人間として出会い向き合うこと」という
忘れがちな医療のあるべき姿を思い出させてくれることにつながるのです。
…
そうして患者を知り親近感や愛着が湧く中で
「患者のために」とケアを頑張っていると
「ありがとう」とか「お世話になりました」とか
「この病院でよかったです」といった
ありふれた言葉に込められる重みも違って感じられてくる。
そうして返ってくる思いによってナラティブは患者のためにと思って実践していたが
実は自分のためにやっていたと気づかされるんです。と根生氏は指摘します。
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以前 ずっと食止めになった患者様がいて
やっと流動食を食べられたとき「今まで生きてきた中で一番おいしい」
と涙を流されたときは
こちらも泣きたくなるようなとても嬉しい、安心した気持ちになりました。
患者様のために行動し
そのことで喜んで頂けると
こちらもとても嬉しい気持ちになる…
「実は自分のためにやっていた」というところにとても共感しました。
日常のささいな会話の中でも食事につながる話が出てくることもあるので
これからも積極的に話しをして患者様のことをもっと知りたいと思いました。