こんにちは。富家病院 臨床心理室の山本です。
日々患者さまとお話している中で、たくさんのことを学ばせていただいています。
その中からひとつ、エピソードを紹介できたらと思います。
回復期病棟に入院されたAさん。
ご自宅にいた頃は、お孫さんの遊びに付き合ったり、調理師だった腕を活かしておやつを作ってあげたりと、
たいへん孫煩悩?なおじいちゃんだったそうです。
入院当初は、病気の後遺症で身体が思うように動かず、落ち込まれていて、
「こんなんじゃ、大好きな孫と一緒に遊べない。俺はもうだめだな…」
と涙ながらに語られました。
できるようになったこと・まだできないこと、リハビリの進捗に一喜一憂しながら、
入院から2か月ほど経った頃のAさんとのお話の中でこんな言葉がありました。
『”あきらめ”には二つある。
一つ目は、うまくいかないから、「もう無理だ」と途中で投げ出しちゃう ”悪い” あきらめ。
二つ目は、うまくいかなくても、「俺はこれができないんだ。でもあれならできるかも」と
気持ちを整理して、
できることをやっていくための“いい” あきらめ。
“いい”あきらめがあるなんて、病気になるまで思いもしなかったなあ』
ふと気になって、「あきらめる」ということばについて調べてみたところ、
万葉集から「あきらむ (明らむ)」と用いられた歴史のあることばで、
当時は”十分に見て、 よくわかる” “心を晴らす”と、肯定的な意味で用いられたそうです。
病気やけがに限らず、悲しいことがあったとき、大切なものをなくしたとき、大きな壁にぶつかったとき…
それまでと同じ道を歩むことがむずかしいときもあると思います。
自分のおかれている状況を見つめて、気持ちを整理し、その上でいままでと違う道を探してみる、というのも一つの手段かもしれません。
“あきらめ”というと否定的なイメージが強いですが、
Aさんのお話から、肯定的な側面もあるということに気づかせていただきました。
もちろん、”あきらめ”は簡単なことではなく、たいへんな心の作業がともないます。
そんな時に何か手助けができるように、日々努力していきたいと思います。